高松高等裁判所 昭和25年(う)1064号 判決
本件起訴状における公訴事実の記載は別紙記載の通りであり、尚本件起訴状に記載せられてある罪名は横領、罰条は刑法第二百五十二条であることは記録上明らかである。
仍つて案ずるに凡そ起訴状には公訴事実を、その訴因を明示して記載しなければならないのであるが、その明確性の程度において多少欠ぐるところがあつても、それがために、被告人の防禦に実質的な不利益を生ずる虞がない限り、それは公訴提起の効力に影響を及ぼさないと解するを相当とすることは、刑事訴訟法第二百五十六条第三百十二条の法意からも、これを推論することができる。それ故斯かる場合においては裁判所は同法第三百三十八条第四号により公訴を棄却すべきではない。そして、又裁判所は検察官に対し右不明確の点につき、刑事訴訟規則第二百八条に則り釈明を求めるのを相当とする。若し検察官において釈明に応ぜず或は釈明不能の場合においては、裁判所は審理の経過によつて、右不明確の点を明らかにすることができるときは、それを対象として審判すべく、これを明らかにすることができない場合において、はじめて公訴を棄却すべきものである。
斯く解することは、訴訟経済の理念に合致するのみならず、却つて被告人をして再度の起訴手続を免かれしめることとなる場合もあるであろうから、被告人の利益にも帰するであろう。尚又、公訴提起後において訴因の変更又は追加が許されている以上、訴因の変更に至らないその明確化の許されるべきは当然であるとも謂い得るであろう。
飜つて本件についてこれを考えるに、起訴状によれば、本件公訴事実は、それが単純一罪、併合罪、或は想像的競合罪の孰れを構成するものとして起訴せられたかの点並に、若し本件公訴事実が一個以上の罪となるべき事実即ち訴因を包含しているとすれば、その各訴因についての被害者及被害額の点は不明であるが、右不明の点がその孰れであるとしても、本件公訴事実は起訴状の記載によつて特定せられていると謂うべきである。そして起訴状記載の訴因に右の如き程度の不明の点があつても、それは被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるとは考えられないのみならず、釈明によつて明らかにせられ得る性質のものである。記録によれば、検察官は、原審第三回公判期日において、各被害者各被害額其の他につき訴因を明示し、且つ、それが併合罪を構成するものとして記載せられたものと解することができるところの「訴因(罰条)の変更請求書」と題する書面(記録第八十壱丁)を提出し、これに基き別紙記載の通り訴因を変更する旨を陳述したところ、原審は、その後第四回公判期日において、右請求を却下したことが明らかである。ところで、右書面記載の罪となるべき事実と、起訴状記載の罪となるべき事実とを比照して考えると、両者の間には訴因の異同が存するのではなく、後者における不明の点が前者により明らかにせられたもの、即ち訴因の変更は存しないものと謂うべきである。それ故原審は検察官の用いた「訴因の変更」という文言に拘らず、右書面の趣旨を釈明的なものと解し起訴状並右書面に記載せられた事実を対象として審判すべきであつたのに、起訴状記載の訴因不明の故を以つて、直に本件公訴を棄却したのは、この点において、その訴訟手続に法令の違反があつたものと謂うべく、且つそれは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこれを破棄すべきである。
(検察官の控訴趣旨)
原判決は左記の通り法令の適用を誤りその誤りは判決に影響を及ぼす事が明かであると信ずるので刑事訴訟法第三九七条により破棄さるべきものと思料する。
一 本件公訴事実は、
被告人は、昭和二十三年十月五日頃綾歌郡宇多津町倉之前宮武キヌヱ方に於て塩田チカノ及び金井春栄より布団裏地合計四十四ヤールを同人等より販売の委託を受け保管していたが一、二日後之を徳島県祖谷方面に於て煙草の葉、大豆、小豆等と物交しその物交品の売却代金の内千五百円を塩田チカノに支払いその残額八千五百円位を同日頃綾歌郡宇多津町の自宅に於て自己の為に費消横領したもの、
と謂うにある。
二 原裁判所は「右起訴には併合罪である二個の訴因が含まれていると解するところ右記載によれば右二個の訴因を一括記載しその間に全然区別を明示してないから右各訴因は不特定で本件公訴は刑事訴訟法第二五六条三項に違反し無効で同法第三三八条第四号に依りこれを棄却すべきもの」として公訴棄却の判決を言渡した。
三 然し乍ら本職は本件公訴事実の訴因の表現方は拙劣で明瞭を欠ぐ点のある事は之を卒直に認めるも次に述べる理由により、判決にいう如く刑事訴訟法第二五六条三項にいう訴因の特定を欠ぐ無効のものと認むべきではなく、公訴提起の手続は有効であると確信する。従つて刑事訴訟法第三三八条四号を適用して公訴を棄却した原裁判所は刑事訴訟法第二五六条三項の解釈を誤り且つ本件控訴に対して刑事訴訟法第三三八条を適用したのは同法条の適用を誤つたものと謂うべく、而して右誤りは判決に影響を及ぼす事自明の理であるから、刑事訴訟法第三九七条により破棄さるべきものと確信する。
(一) (本件公訴事実は一個の訴因であつて又被告人の横領行為も単純一個の横領行為である。)
原裁判所は判決理由に於て「右起訴には併合罪である二個の訴因が含まれていると解するところ」と認定しているが、右は全く偏狭な独断であると信ずる。
試みに本件公訴事実の訴因を明瞭に書きあらためてみると「被告人は昭和二十三年十月五日頃綾歌郡宇多津町義母の宮武キヌヱ方に於て、塩田チカノより二種の布団裏地合計二十一ヤールを六千八百二十円にて、金井春榮より三種の布団裏地合計二十三ヤールを七千八百円にて各販売の委託を受け(その際各物々交換の上処分するも差支なき旨の諒承を受けていた)被告人はこの両名から受領した右各種裏地を入れ合せ、混同して、一両日後徳島県祖谷方面に於て、煙草の葉三貫五百匁、小豆三斗大豆等と物々交換し、右物々交換した物の中煙草の葉を除いた物(葉煙草は他人に窃取された)の売却代金約一万円の内、千五百円を、塩田チカノに支払い残り八千五百円位を同日頃自宅において擅に費消横領したものである」と謂うのであつて、販売委託を受けたのは、二行為で被害者も二人である事は明らかであるが、委託品を混合して物々交換したもので、然も両名から委託を受けた物品を識別不能の状態において物々交換によつて得たものを保管中、過半の物を一万円位にて売却して内千五百円を塩田に支払い、残金八千五百円位を横領したものであるから単純一個の横領行為であつて決して被害者別に二個の併合罪が含まれているものでは断じてない。
若し本件の場合を二個の併合罪と解するならば、ここに一個の設例を試みるとAは甲より五千円、乙より一万円の保管を託され、これを保管中乙に内二千円を返還し、残り一万三千円を或る場所において遊興費に一時費消した行為は、甲の五千円と乙の八千円を横領した二個の併合罪と解することとなり、その不当なることは論ずるまでもない。
一罪か数罪かを区別する標準については判例は変遷している (1)、初め専属的法益については法益標準説をとつて被害者の数に応じた数罪が成立し、財産法益については行為標準説をとつて被害者数名あるも抱括一罪なりと解していた(明治三十九年十一月八日判決録十二輯一一九五頁)が、(2)、後に財産法益については所有者を異にし各保管を異にする場合には刑法五四条一項前段の想像的競合罪を構成し、保管が単一なる場合には所有者を異にするも単純一罪なりとした(大正元年八月六日判決録十八輯一一二二頁大正六年十二月五日判決録二三輯一三五三頁)(3)、更に最近法益標準説を棄て行為標準説に三遷したにあらざるかを思わしめる判例が出ている事を注目すべきである。(イ)三回に亘る竊盗行為がわずかに三時間余の時間内に同一場所で行われた事案について、単一犯意の発現たる一連の動作であると認められる場合には独立した三個の犯罪と認定すべきではなく一罪と認定すべきであるとして原審が併合罪と認定した判決を破棄差戻し、(昭和二四年七月二三日第二小法廷)又 (ロ)単一の意思発動として同一場所に於て同一機会に時間を接して所有者を異にする同種のものを竊取した場合は一罪と認むべきものであるとして前記(イ)の最高裁の判例を引用して原審が併合罪と認定した判決を破棄移送した下級審の判例がある(昭和二四年十二月二十日東京高裁十二刑事部)ここに於て、本件訴因は、前記(1)の行為標準説によれば包括一罪なること勿論である。又二名の者から売却を託された物を混同保管中物々交換した(委託者別に区別が出来ない状況に於て物交した)物を売却したその代金を費消横領したのであるから保管が単一であることは論なし。従つて前記(2)の法益説の保管説によるも単純一罪となること疑なし。又単純意思発動で同一場所に於て一時に費消横領した事実も論なし。依つて前記(3)の判例によればこれまた当然単純一罪となる。されば変遷せる何れの判例によるも本件訴因たる横領行為は単純一罪なること疑なし。
只本件の公訴事実は表現拙劣で当職の前記の説明の如く一罪としての一個の訴因か、或は原裁判所が認定した二個の併合罪を訴因としたか、明瞭を欠ぐうらみのある事は当職の既に認めているところである。然しかかる訴因の不明確な場合は被告人の防禦を困難ならしめ、且つ裁判所も又審判の範囲をも特定し難いといわなければならないので、原裁判所は、すべからく検察官にこの点釈明せしめて起訴の訴因が一個であるか、二個であるか明らかにするよう、刑事訴訟規則二〇八条一項により釈明権の行使をすべきに拘らず、右の措置をとらなかつた事は、原審公判調書の記載により明らかである。かく原審裁判所は自ら為すべきことを為さずして、直ちに以て併合罪である二個の訴因が含まれていると解釈した事は、審理不尽による独断と解せざるを得ない。
(二) (原裁判所も審理の最終段階まで一個の訴因と認定していた)
原審公判調書(第二・三回)によると原審裁判所は検察官に対し、本件は宮武(塩田の誤記と思料する)金井を各別に被害者とする併合罪と思料されると述べて訴因の変更を促し検察官は之を認めて、本件一個の訴因としての公訴事実を、塩田・金井・各別の被害者とする二個の併合罪とする訴因の変更請求書を提出したが、後日原審裁判所は之を却下する決定をしている。
之によると原審裁判所は本件公訴事実記載の訴因は一罪の訴因であると認めたことが明らかに察知される。検察官は起訴に際しては、一個の訴因として起訴したのであるが、原審裁判所が、審理の結果併合罪として二個の訴因に変更方を促されたので、疑問はあつたが一応変更申請をしたところ、歩一歩の処で原裁判所が此の変更申請を受理すべきでない事に気付きこれを却下されたことそれ自体は正当で本職は満腔の敬意を表するものである。
然し乍ら却下の理由が「本件起訴の事実は、訴因の特定を欠ぐ無効のものと認めて、補正、追完を許されないもの」であるというにあることを知るに及んで、誠に唖然たらざるを得なかつたのであると同時に、法令の正当な適用を念願する検察官にとつては、断じて默過することなく上訴の方法を以て争わんとの決意を固めたのである。
(三) (本件公訴事実の訴因の記載は刑事訴訟法第二五六条三項に所謂訴因の特定に欠ぐるところがない)
次に刑事訴訟法第二五六条三項は「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所、及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と規定せられている。茲にいう「訴因の明示」「罪となるべき事実の特定」というのは如何なる限度に「明示」・「特定」すれば足りるかを論じ。併せて本件公訴事実が同項にいう所の訴因の特定を欠ぐものでないという事を立証し度い所存である。
そもそも訴因の観念は、新訴訟法により生まれた新しい観念で、同項にいう所の訴因の特定は、具体的に如何なる程度まで特定すれば足りるかについては、施行後間もない今日、明かにされた判例もない。
訴因とは、裁判所に対し、審判を請求する社会的事実としての犯罪事実を各罰条にあてはめた形において法律的に構成した事実であると説明するのが通説である。
又訴因は如何なる範囲に明示すればよいかについては、新訴訟法に訴因を取り入れた母法である米法の規定を見ると、米連邦刑事訴訟規則一九四六年第七項Cには、「起訴状は明白簡潔決定的に、起訴された犯罪の主要な事実を記載し、検察官の署名を要する。
形式的な前文、結語の記載は必要としない。一個の訴因は他の訴因と併合できる。被告人が罪を犯した手段が不明であるか、又は一若しくは二以上の特定の手段により犯した場合には、単一の訴因によつて起訴できる。」と規定している。
我が刑事訴訟法における訴因の範囲明示について、母法たる右米法の規定の観念をそのまま採用してよいかどうかは疑問がある、即ち「我が刑事訴訟法にいう訴因を米法の解釈に照して考察する場合に、我が国の刑事訴訟法では、被告人に公訴棄却又に免訴の申立権を認めて居らず、被告人は裁判所の職権発動を促すことができるに過ぎず、証拠の関連性は広く裁判所の裁量に属するので防禦権の行使という内容が幾分異ることと、裁判所は訴訟の時期いかんを問わず、訴訟条件の欠缺の場合に公訴棄却又は免訴により訴訟を終結しなければならないことと有罪無罪の答弁の制度を採用していないことを考慮に入れる必要があろう。このように考えて来ると訴因の範囲は米法より厳格に解する必要もないのである」(青柳氏刑事訴訟法通論二一三頁より引用)。
最後に訴因の特定は如何なる限度に特定すればよいかの問題を考察するに刑事訴訟法第二五六条三項に「訴因を明示するには出来るかぎり日時・場所及び方法を以て公訴犯罪事実を特定しなければならない」と規定されているが、茲に「できるかぎり」という立言が附加されているという事を特に注意しなければならない、(反対解釈として可能な範囲においてということになる)又社会的に起つた過去の事実を、最後の一点まで明確にする事は至難の事である。殊に新法の下に於ては捜査の時間に一定の制限があり、捜査方法にも一定の制限がある。
かれこれ考え併せると訴因とは前述のように単に抽象的な法律上の構成要件を指すものではなく、各罰条の構成要件にあてはめた形に於て法律的に構成された具体的な犯罪事実で、それには、できる限り(できなければできる範囲でとの解釈が成り立つ。)日時・場所・方法を以て、公訴犯罪事実を具体的に特定しなければならないという趣旨を定めたのか、本条第三項の趣旨と解すべきである。
従つて訴因を明示する方法としてはできる限り日時・場所・及び方法を以て適用すべき罰条の構成要件的特徴を明らかにし、且つ公訴犯罪事実を特定するに足りるものであれば充分であると解するものである。(法務府検務局の解釈も同説である)。
本件公訴事実の訴因は「被告人は昭和二十三年十月五日頃綾歌郡宇多津町倉之前宮武キヌヱ方に於て、塩田チカノ及び金井春栄より布団裏地合計四十四ヤールを、同人等より販売の委託を受け保管していたが、一、二日後之を徳島県祖谷方面に於て、煙草の葉、小豆、大豆等と物交し、その物交品の売却代金の内千五百円を塩田チカノに支払い、その残金八千五百円位を同日頃綾歌郡宇多津町の自宅に於て、自己の為擅に費消横領したものである。」と記載せられているので、この公訴事実を前述の「訴因の明示」「罪となるべき事実の特定」の趣旨に照してみると、
(イ) 塩田、金井の両名から預つた裏地の数量が合計で表わされ各別には明らかにされていない。
(ロ) 塩田に千五百円を支払つたことを公訴事実に記載しているので塩田が被告人に売却を委託した裏地の数量が(イ)の如く明らかにされていないのでこの千五百円の支払後に尚且つ被害が残されているのかどうかが不明瞭となつている。
(ハ) 被害者二人各別に被害金額が明らかとなつていない。
以上の三点が訴因を特定する上に於て不備となつているかの感がある。
然し(イ)は後に述べる(ハ)の如く両被害者の被害額は明確に区別し得ない。否むしろ区別する必要のない事項であるから横領行為の縁由に関連のある委託物を明確に被害者別に区別することは必しも訴因の特定には必要ではない。只(ロ)に指摘した如く後に千五百円を塩田に支払つた事が公訴事実に記載してあるので、これによつて果して塩田に千五百円を支払つた上尚且つ被害があるかどうかについて明示を欠く事になる。(この点については後述する)
従つて被告人の防禦と審判の範囲が不明確となる点からしてこの委託物の数量は明確に区別して置くことが望ましい事は言うまでもない。けれどもこの点は釈明権の行使で訴因の同一性を害する事なく充分に補正出来る問題であると信ずる。
次に(ロ)は千五百円を塩田に支払い残額を横領したと記載してあるので塩田に千五百円支払うも尚かつ同人に被害のある事を前提としている事は常識的に推定し得るところであるからこれまた塩田に被害が残されているのかどうかという問題については、訴因の同一性を害する事なく釈明権の行使により明かにし得る問題であると信ずる。
(ハ)は塩田、金井両名からの委託物自体を既に混合してしまつて識別し得ない状況の下に於て更に煙草、小豆、大豆等の物品と物々交換したのを保管中内煙草の葉を除く他のものを売却した代金の内一部を塩田に支払い、総額八千五百円を横領したのであるから横領金額を被害者別に区別をする事は、至難な事であるのみならず強いて区別の必要がないそれ許りでなくむしろこれが区別をしないで一個の訴因として記載するのが正しい記載方法であると信ずるので当然(ハ)の如き記載が許されるものである事は本職の確信して疑わない所である。従つてこの(ハ)の点については少しの不備もない。
(四) (結論)
これを要するに本件公訴事実は用語の表現文書の構成に於て拙劣な為、訴因の特定に明瞭を欠く点はあるが、それは前述の刑事訴訟規則第二〇八条一項の釈明権の行使により有効に補正され得るのであつて決して刑事訴訟法第二五六条三項にいう所の訴因の特定に欠ぐところはないものと確信するので何卒刑事訴訟法第三九七条を適用して原判決を破棄されんことをお願いする次第である。